トリリンガル学校職員ブログ

日中英トリリンガルの学校職員によるブログ

大手金融営業マンから大学職員に転職し、人生が変わった話。1

 大手金融機関(損保)の営業の現実

あくまで個人的な意見なので参考までにしていただければ幸いです。
結論から言うと、私は損保営業の仕事とは合いませんでしたが、大手損保での3年間は自分を成長させてくれたと思います。

しかし、それはポジティブな意味というよりかは、耐えに耐えて成長した3年間だったのです。同僚や上司もまた給料のため、家族を養うために耐えながら働いているような職場でした。(もちろん私の主観なので、中には生き生きとやりがいを持って働いている人もいた。はず。)

 

何に耐えていたのか

◯社内

  • 毎月のノルマ(ノルマの種類も複数項目)
  • それらの進捗を上司から詰められる(その上司もまたその上に詰められている、 パワhrの連鎖)
  • 平日飲み会&休日ゴルフ(頻度高めかつ自腹多め)
  • 窒息しそうな社内会議の雰囲気

◯社外

  • 自爆営業(車、各種保険加入、衣類、飲食等々)
  • お願いベースの営業(損保営業の立場は驚く程低い)

  • 取引先接待(飲み会、休日ゴルフ、深夜カラオケ等)

  • 休日・勤務時間外の営業携帯着信

ざっと挙げてもこれくらいはありました。このように書くと日々トレースされてたかのように思われがちですが、保身のために言っておくと個人的な年間のノルマは達成していました。それでも支店ベースで絶えず様々な項目で詰められます。笑 

パワハラ・セクハラという言葉に今ほど敏感ではなかった昭和時代よりかはましだと思います。(想像)

今となっては笑ってられる話ですが、当時は日々の業務に追われているだけで思考も止まりかけており、何の為に生きているんだろうと毎日思うほどでした。振り返ると、就職活動をして安定感抜群の大手企業から内定をもらい、周りからの承認欲求も満たされていました。今思えばそこがピークだったんじゃないかと思います。どこかのコピーとして使われていた「いい会社に就職したねは一瞬、楽しそうに仕事してるねは一生」はまさにその通りだと思います。

 

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このような日々を過ごしているうちに、必ずと言っていいほど今のままでいいのかと思い悩むことになります。選択肢は2つ。転職するか留まるか。

ここで、特にやりたいことがまだなくて、給料面や待遇も悪くないことから耐えることを選ぶ人がほとんどだと思います。

しかし、このままでは人生の貴重な20代の時間を無駄にしてしまうという危機感がMAXになり、入社3年目に転職をすることを決めました。

 

大手金融営業マンから大学職員に転職し、人生が変わった話。2 へ続く